“心ふたぐ・・心温まる・・心おどる・・心満ちる”
2015年 06月 27日
この1~2か月、心が上に下に
揺さぶられ続けていました。
TVで国会中継を見ていると、議論が噛み合ってない。
わざと噛み合わせてないのか?
相手の質問にわざとちゃんと答えないのか?
時間の無駄遣い即ち税金の無駄遣い…
すべていのちを無視している。怒りがこみ上げます。
そんな折に「ちいさなあつまり 夏至祭」という
若い女性たちが中心になってつくったイベントに行きました。
世田谷区の上北沢にある「岡さんの家」という古いお宅が
イベントの施設として開放されているのです。
年代ものの座卓など、家具もそのまま。
ピアノ・オルガン・電子ピアノも。
子どもたちが自由に遊べるおもちゃもたくさん!
メンバー手づくりのボタン・ブローチ・ハンカチ・絵葉書
・ソックス・「しつもんかるた」などの品々も販売されていました。
小さいお子さん連れの人も何組か、おもちゃで思いっ切り遊んで。
私の朗読をおとなしく聴いてくれたのにはびっくり。
皆さんに1~2行の文章を読んでもらうワークショップ、
心をこめて読んでくださるのが嬉しかったなぁ。
そのあとは何人かの方たちの楽器演奏や楽しい食事もあったけれど、
OGAWAさんと私は残念ながら、楽しい「あつまり」を後にしました。
クリエイティブな人達の集まりっていいな。
澄んでいるのかな、空気が。
なんとかの後智恵というけれど、
あとになって、そうだ、あの子どもさんたちの
明るい未来を思うなら、私は語り部の役割もすればよかったのに、とか、
ワークショップのとき、読むだけでなく、皆さんの「生きる」おもいも
話していただけばよかったのに、とか、いろいろ思ったのでした。
その次の日は品川合唱祭に行きました。
「客席に届けたい思い」があるかどうか、
その出発点が歌というものの存在理由を左右してしまう。。
コワイな。
それによって、歌詞が届きもするし、指揮者の所で止まってしまったりもする。
指揮者の背中を通り抜けて客席の私たちにひびく歌声。
その思いを受け止めるのが合唱を聴く醍醐味のもとにある。
テンポ・リズム・ハーモニー…団員が楽しめば、私たちも楽しい。
もちろん、練習の段階では楽しいばかりじゃあないでしょうけど。
少し前から、長田弘のエッセイ「なつかしい時間」(岩波新書)を
ぽつりぽつり読んでいます。私のことだから、とびとびに、だけど。
この人の詩に内包されている、しなやかで強靭な観察眼が痛快。
もちろん深く考えさせられてしまう。。
今は亡きこの人の世界を小さじの先ちょっとでも、と
今月の「こがばあの部屋」に入れたのでした。
料理や食事に託す世界観!
14編読んだけれど、1篇1篇が大きく深い世界で、
うなってしまうのです。
湯本香樹実さんの、生と死をめぐるお話しから先に読みました。
大切な友だちのことりを亡くしたくまの切ない心に、
通りすがりのやまねこがさりげなく寄り添う。
何回読んでも胸が詰まって苦しくなるのですが、
このひとたちの気持ちをぜひ伝えたい。
こがばあの部屋で読まずにはいられないですよ。
今回も、しいねはるかさんが
即興で伴奏してくださいました。
やさしい、いい音だなあ。
そして、なかみに合わせ、私の読みに合わせて、
曲を紡ぎ出す。
並大抵のことではないですよ。
独奏もしてもらったけれど、これも即興!
亡くなった友人を思って、と。
12月までに、しいねはるかさんのピアノと
私の詩とのセッションでCD作成!というすごい企画まで!
長生きしなくっちゃ。
もうひとつ、女子高生と70年前のあの頃女学生だった人とが話をする、という、
絶滅危惧種の私としては願ってもない機会がいただけるかも、と。
去年背中を押してくださったOGAWAさんも驚きの展開。
みなさんのお陰のほかありません。
生きていてよかった、生きている意味が加わる…
と、弾む心をしっかり包みこんで
帰途についた―
携帯が鳴った―
夫が公園で救急車の中!と―
夜までかかって点滴。検査の結果、
脱水症で意識朦朧、転倒、更に朦朧・・だったと判明。
自力で動けるようになり、帰宅できたのでした。
今日は自分の受診やらリハビリやら…
もうちょっと元気でいるためには
メンテナンスが欠かせません。
このからだ、買い換えるわけにいかないので。
揺さぶられ続けていました。
TVで国会中継を見ていると、議論が噛み合ってない。
わざと噛み合わせてないのか?
相手の質問にわざとちゃんと答えないのか?
時間の無駄遣い即ち税金の無駄遣い…
すべていのちを無視している。怒りがこみ上げます。
そんな折に「ちいさなあつまり 夏至祭」という
若い女性たちが中心になってつくったイベントに行きました。
世田谷区の上北沢にある「岡さんの家」という古いお宅が
イベントの施設として開放されているのです。
年代ものの座卓など、家具もそのまま。
ピアノ・オルガン・電子ピアノも。
子どもたちが自由に遊べるおもちゃもたくさん!
メンバー手づくりのボタン・ブローチ・ハンカチ・絵葉書
・ソックス・「しつもんかるた」などの品々も販売されていました。
小さいお子さん連れの人も何組か、おもちゃで思いっ切り遊んで。
私の朗読をおとなしく聴いてくれたのにはびっくり。
皆さんに1~2行の文章を読んでもらうワークショップ、
心をこめて読んでくださるのが嬉しかったなぁ。
そのあとは何人かの方たちの楽器演奏や楽しい食事もあったけれど、
OGAWAさんと私は残念ながら、楽しい「あつまり」を後にしました。
クリエイティブな人達の集まりっていいな。
澄んでいるのかな、空気が。
なんとかの後智恵というけれど、
あとになって、そうだ、あの子どもさんたちの
明るい未来を思うなら、私は語り部の役割もすればよかったのに、とか、
ワークショップのとき、読むだけでなく、皆さんの「生きる」おもいも
話していただけばよかったのに、とか、いろいろ思ったのでした。
その次の日は品川合唱祭に行きました。
「客席に届けたい思い」があるかどうか、
その出発点が歌というものの存在理由を左右してしまう。。
コワイな。
それによって、歌詞が届きもするし、指揮者の所で止まってしまったりもする。
指揮者の背中を通り抜けて客席の私たちにひびく歌声。
その思いを受け止めるのが合唱を聴く醍醐味のもとにある。
テンポ・リズム・ハーモニー…団員が楽しめば、私たちも楽しい。
もちろん、練習の段階では楽しいばかりじゃあないでしょうけど。
少し前から、長田弘のエッセイ「なつかしい時間」(岩波新書)を
ぽつりぽつり読んでいます。私のことだから、とびとびに、だけど。
この人の詩に内包されている、しなやかで強靭な観察眼が痛快。
もちろん深く考えさせられてしまう。。
今は亡きこの人の世界を小さじの先ちょっとでも、と
今月の「こがばあの部屋」に入れたのでした。
料理や食事に託す世界観!
14編読んだけれど、1篇1篇が大きく深い世界で、
うなってしまうのです。
湯本香樹実さんの、生と死をめぐるお話しから先に読みました。
大切な友だちのことりを亡くしたくまの切ない心に、
通りすがりのやまねこがさりげなく寄り添う。
何回読んでも胸が詰まって苦しくなるのですが、
このひとたちの気持ちをぜひ伝えたい。
こがばあの部屋で読まずにはいられないですよ。
今回も、しいねはるかさんが
即興で伴奏してくださいました。
やさしい、いい音だなあ。
そして、なかみに合わせ、私の読みに合わせて、
曲を紡ぎ出す。
並大抵のことではないですよ。
独奏もしてもらったけれど、これも即興!
亡くなった友人を思って、と。
12月までに、しいねはるかさんのピアノと
私の詩とのセッションでCD作成!というすごい企画まで!
長生きしなくっちゃ。
もうひとつ、女子高生と70年前のあの頃女学生だった人とが話をする、という、
絶滅危惧種の私としては願ってもない機会がいただけるかも、と。
去年背中を押してくださったOGAWAさんも驚きの展開。
みなさんのお陰のほかありません。
生きていてよかった、生きている意味が加わる…
と、弾む心をしっかり包みこんで
帰途についた―
携帯が鳴った―
夫が公園で救急車の中!と―
夜までかかって点滴。検査の結果、
脱水症で意識朦朧、転倒、更に朦朧・・だったと判明。
自力で動けるようになり、帰宅できたのでした。
今日は自分の受診やらリハビリやら…
もうちょっと元気でいるためには
メンテナンスが欠かせません。
このからだ、買い換えるわけにいかないので。
by baachann | 2015-06-27 00:57 | 朗読