“まさに「日々」であるなぁ…”
2015年 03月 27日
なんと3か月半もここに書いていなかった!
って、今気が付いたわけじゃない。
毎日のように書きたいことがあって、
でも書けなくて―いや、単に忙しさに漂っているうちに
日にちがとっとと過ぎていったわけで―
実際、無駄に過ぎた日は一日もなく、
いや、「生きている」だけでも
無駄なんていうことはないでしょ?
その上、日々が発見であり、学ぶこと続出。
えいっとばかり新しく始めたことあり。
自分で背負い込んだ肩の荷を一つ二つおろし、
お役目を終えてバトンを渡したことがらもあり。
と、終活を改めて意識しなくても
自然にその流れの中に漂っている日々なのでした。
それが空疎なものにならずにすんでいるのは
各所の相棒のお陰であることは言うまでもないです。
「えみりの会」の「み」さん、「り」さん。
―詩を書く・声で読む、という大層難しいことを
楽しく満ち足りた気持ちで運ばせてくれる。
KOGAWAプロジェクトのOGAWAさん。
毎月の「こがばあの部屋」の運営を一手に引き受けて
私の思うままに泳がせて―もとい!読ませてくれる。
私はいい気になって、読みたいものを、読みたいように読むだけ。
そして、そこに来て下さるお客様たちの暖かいことと言ったら!
そこから新しいお誘いをいただいたり、
イベントにお呼びいただいたり…。
「音訳」を本当に必要な人に必要な形で届けたいと願って
小さいボランティアグループを一緒に立ち上げたHさん。
私が終活の一つにしている音訳者への「読み」の梃入れの
手助けをしてくれている。
それぞれの行き着く先は本当のところ、不明。
それを心配していたら、この年で
何を始めることもできないんです。
だから、どこでどうなるか、
自分では心配しないことにしました。
それぞれを助けてくださる方がた、
見守ってくださる方がたの「大きさ」をいいことに、
漂っている。
そういう日々です。
昨日第4回「こがばあの部屋」が終わり、
今日は30日の臨時の会の練習。
次々に見付かる家人の要検査・要治療、
自分の不調箇所のリハビリなどを織り込みつつ、
時は流れてゆくのです。
って、今気が付いたわけじゃない。
毎日のように書きたいことがあって、
でも書けなくて―いや、単に忙しさに漂っているうちに
日にちがとっとと過ぎていったわけで―
実際、無駄に過ぎた日は一日もなく、
いや、「生きている」だけでも
無駄なんていうことはないでしょ?
その上、日々が発見であり、学ぶこと続出。
えいっとばかり新しく始めたことあり。
自分で背負い込んだ肩の荷を一つ二つおろし、
お役目を終えてバトンを渡したことがらもあり。
と、終活を改めて意識しなくても
自然にその流れの中に漂っている日々なのでした。
それが空疎なものにならずにすんでいるのは
各所の相棒のお陰であることは言うまでもないです。
「えみりの会」の「み」さん、「り」さん。
―詩を書く・声で読む、という大層難しいことを
楽しく満ち足りた気持ちで運ばせてくれる。
KOGAWAプロジェクトのOGAWAさん。
毎月の「こがばあの部屋」の運営を一手に引き受けて
私の思うままに泳がせて―もとい!読ませてくれる。
私はいい気になって、読みたいものを、読みたいように読むだけ。
そして、そこに来て下さるお客様たちの暖かいことと言ったら!
そこから新しいお誘いをいただいたり、
イベントにお呼びいただいたり…。
「音訳」を本当に必要な人に必要な形で届けたいと願って
小さいボランティアグループを一緒に立ち上げたHさん。
私が終活の一つにしている音訳者への「読み」の梃入れの
手助けをしてくれている。
それぞれの行き着く先は本当のところ、不明。
それを心配していたら、この年で
何を始めることもできないんです。
だから、どこでどうなるか、
自分では心配しないことにしました。
それぞれを助けてくださる方がた、
見守ってくださる方がたの「大きさ」をいいことに、
漂っている。
そういう日々です。
昨日第4回「こがばあの部屋」が終わり、
今日は30日の臨時の会の練習。
次々に見付かる家人の要検査・要治療、
自分の不調箇所のリハビリなどを織り込みつつ、
時は流れてゆくのです。
by baachann | 2015-03-27 21:10